王舟

「Big fish」

2019.05.22 Release

王舟

「Big fish」

2019.05.22 Release

Interview

前作アルバム『PICTURE』発表後、MOCKYによるリミックスを収録した7インチシングル「Moebius」、イタリア録音となったBIOMANneco眠る)との共作インストアルバム「Villa Tereze」、CM音楽提供など様々な活動をおこなってきた王舟が、522日、ついに3年ぶりとなるオリジナルアルバム『Big fish』をリリース
DTM全盛たる現行シーンと強く共振しながらも、これまで受け継がれてきた様々な音楽遺産を深く消化し、そして来るべき音楽の形までもを見据えた<ポップスのこれから>を静かに提示するようなこの決定的作品は、北山ゆう子(Dr.)、千葉広樹(Ba.)、潮田雄一(Gt.)mmm(Pf., Fl.)tamao ninomiya(Cho.)、トクマルシューゴ(Cho.)、見汐麻衣(Cho.)annie the clumsy(Cho.)といった多彩なゲストミュージシャンが参加し、更にミツメや堀込泰行なども手がける田中章義によるアイデア溢れる高精度のミックス、バーニー・グランドマン・マスタリング・スタジオでの最終工程を経て完成された。ウェルメイドなソング・ライティングとアレンジ、そして先鋭的な音作りが更に深化し、瑞々しさと円熟、アコースティックとエレクトロニクス、アナログとデジタルを美しく溶け合わせるような、王舟流ポップスの精髄というべき作品になっている。
このアルバムに接するとき人は、目の滑らかな木綿にくるまれるような、誠に心地よいリスニングを体験をするだろう。既にそれだけで稀なる喜ばさに導いてくれているだろうがしかし、せっかくならばその先にあるより深長な世界に誘われてほしい。どのように本作の制作が行われたのか、更には、王舟という一人の特異なアーティストが今何を考え、どんな美しさを何に見出しているのか。それらを知ることは、我々聴くもののみならずこの音楽そのものにとっても慶賀すべきことだろう。そう、世界には、問いかけられることではじめて自らを語り始める音楽というのがあるのだ。『Big fish』は、その表象上のきめ細やかさの中に様々な美意識が綾のように(一見して分からないような巧みさで)織り込まれているという意味において、今もっとも繊細に問いかけられることを待望されている音楽だ。

Interview & Text : 柴崎祐二

PICTURE』~『Villa Tereze』を経て

ファースト・アルバムの『Wang』が生音主体のバンドサウンド志向で、セカンド・アルバム『PICTURE』が宅録のセルフ・ミックス作でした。そうした振り幅が王舟くんの音楽の大きな魅力の一つだと思うんだけど、そもそも当時そういう風に制作手法の転換をした理由は?

王舟:ファーストみたいな感じでもう一回セカンドを作ってしまうと、いわゆるアコースティック路線でその先ずっとやっていかなくちゃいけなくなってしまいそうで、それは嫌だなと思って()。ずっと同じことをやり続けるとなると、絶対に自分が飽きるからね。

バンドを集めて作ることと、一人だけで作ることのそれぞれの良さってなんでしょう?

王舟:まず、複数人で制作すると、一つの曲に対してみんなの解釈が違うから、それが音に反映されるっていうのが単純に面白いよね。だから、ファーストのときはあまり俺がガチガチにアレンジとかも決め込まないようにしていたし、そもそも技術的な面でわからないことも多かったからそうなったというのもあるんだけど。敢えてなすがままにした感じ。セカンドは人から与えられる不確定要素が望めないから、自分の中にある不確定要素みたいものを盛り込んでいった感じかな。

王舟くんの音楽を聴いていると、「全て自分でコントロールしたい」っていう欲求と、それだけじゃなく、どこかで不確定要素を盛り込みたいっていう欲求がせめぎ合っているような印象を受けることがあります。

王舟:実は「全てをコントロールしたい」って、あんまり思ったことなくて。本当にすごい大きな規模の制作にならないとそういう欲求は出てこないかもな。機材、時間、知識とか色々な面で今はまだ自分に足りないものが多いから、偶発的要素を取り込まざるを得ないって感覚なのかもしれない。

本当は全て取り仕切ってアレンジやミックスも全て細かくやるっていうのをやりたい?

王舟:それはあるね。サッカーの監督みたいな感じに制作するのは面白いだろうなって。でも、監督にしても、結局不確定要素にも対応せざるをえないし、逆に不確定要素にコントロールされることだってあるはずで。だから、制作上色々な権力が自分にあるからその分こういう作品になる、っていう単純な話にはならないだろうなとは思う。

電子音と「バンド」サウンド

今作は、バンド・サウンドと打ち込みが融合して、ファースト的な「人とやる(=バンド)」というのとセカンド的な「自分でやる(=セルフ)」というのが方法として併存していますよね。

王舟:セカンドやBIOMANとの『Villa Tereze』を経て打ち込み制作のスキルはついたかもしれないんだけど、自分の頭の中にあるアイデアを全部自分だけで実現するのも実際には難しいし、それが仮にできたところで良い音楽かどうかは特に自信がないんだよね。だから、人と意見を交わしながらやっていこうと思って。『Villa Tereze』はイタリアで録音したんだけど、日本で事前にデモを作っておく必要があって。その段階でようやくソフト・シンセやサンプリングとか編集というのが手法として自分の中に定着した感じかもな。

それ以前は電子音を使うのにはあまり興味なかった?

王舟:セカンド制作にあたってMacDAWと音源ソフトを色々買ったんだけど、MIDIについても生音の代用というのが主な目的だったし、ソフト・シンセのバンドルが多すぎて最初は電子音を使う気はなかったんだよね。でも、『Villa Tereze』を作るにあたって、インスト・アルバムだし、さすがに生音的なMIDI音源を沢山入れるのは違うかなって思って。そこでむしろ電子音を積極的に使ってみようと思って色々作ってみたら、結構面白かった。

なるほど。機材環境から逆算して音楽内容が決まっていった感じなのか。でも今は一般的にもそれが音楽制作のベーシックな意識になってきつつもあるよね。

王舟:うん、それはあると思う。

そういう流れを経て、これまでシンガー・ソングライターと目されてきた王舟くんがDTM的な発想で音楽を作り始めたというのが面白い。

王舟:「発想の転換」っていうほど自覚的には意識してなかったけど、そういう作り方もありだな、って。そもそもあまり自分のことを「シンガー・ソングライター」って思ったことも無いし。

それでいて、今回はバンドの生音もしっかり入っているわけですよね。

王舟:そうそう。打ち込みだけで色々できそうだなとも思ったんだけど、単純にそれだけだとやっぱり飽きちゃいそうだし、アルバム一枚分全てそれっていうのもなあと。あと、ライブについての話なんだけど、このところずっとソロでやってきて、お客さんとしても飽きているだろうなあと思っていて。自分としても新しい編成でやってみたくて、ちょうどメンバーを探していたっていうのもある。三輪二郎バンドが好きで良くライブを観に行っていたんだけど、北山ゆう子さんのドラムが素晴らしくて。「北山さんに叩いてもらえたら嬉しいなあ」って本人のいないところで度々言っていたら、回り回って本人の耳に入ったらしくて。偶然お会いしたときに北山さんから「いつ誘ってくれるんですか?」って言われて、即「お願いします!」って()。ベースの千葉さんは以前から知り合いでいつか一緒にやりたいねって言っていて、うまいこと今回タイミングが合って。

いろんな状況が絡み合っての今回の制作法なんですね。機材にしてもバンド編成ということにしても、状況が偶然導いてくれたようなところが

王舟:ありますね。

アドバイザー 夏目知幸

今回、バンド・メンバーや参加ミュージシャンとは別に、シャムキャッツの夏目(知幸)くんがアドバイザー的にクレジットされていますね。

王舟:中野のリンキーディンクスタジオで、アルバム候補の40曲くらいを一気に聞いてもらってアドバイスをもらったんですよ。それによってアルバム制作に推進力が出た気がする。一人だと煮詰まってどう判断すべきかよくわからなくなってしまうだけど、彼は聴いた感想を言葉にするのがとてもうまくて、すごく参考になった。それで俺も一曲一曲のデモを改めて新鮮に捉えることができたんだよね。

強い信頼関係がないとできない作業。

王舟:そうだね。セカンドのときも阿佐ヶ谷のRojiで、夏目くんとか小林4000に聴いてもらって、そこで素直な感想をもらったりしてたんだよね。一言でもそういう反応があると、制作が前に進んでいく。

曲作りの方法を「忘れる」ために

今作制作に際して、刺激をうけた音楽ってありましたか?

王舟:こういう音楽をやってみたい!という気持ちが昔からあまり自分は強くなくて、具体的な何かと言うと、あまりないかなあ。でもモデルケースとして、音を出す段階の参考にしたりはするかな。

どういうことでしょう?

王舟:こういう音を今の時代に出したら、こういう要素として音が活きてくるとか、そういうことへの感覚。そういう個別の音の意味みたいなものについては、聴くものから感じ取ったりはするかな。「こういう音楽をやりたい!」って自分の中で決め込んじゃうと、そればっかり聴かなきゃになってしまって、しんどいじゃないですか()

研究は面倒くさい、と。

王舟:いや~、そういう音楽研究的な素質は無いなって思います()。音楽における「なになにっぽさ」みたいなのも正直よくわからないし

でも、メロディー、コード進行、音のレイヤーの組み立て方とか、「王舟っぽさ」ってあると思うんだけど、そういうのは自分ではどう認識しています?

王舟:うーん、そういう自分節みたいなものってあんまりわからないかもな。実は、自分でも「曲の作り方」っていうのをできるだけ忘れるようにしていて。

曲作りのマナーや常套手段みたいなのを持たないってこと?

王舟:そう。半分怠けているってのもあるけど()、ある程度曲作りが終わると、曲の作り方を忘れるっていう名目でずっとゲームやったりとかして()。未だにコードがCからGにいったときどんな音の響きか頭の中で再生できない。

えー。それは面白い。常に初めて曲を作るみたいな感覚でいたいってこと?

王舟:そう。だから休んだ後はもはやパソコンの操作すらままならない()。やっぱりなんでも突き詰め過ぎることは良くないって思っていてなんだろうな欲が出ちゃってそれが曲に反映されてしまうのが好きじゃないんだと思う。

いわゆる「イキリ」みたいな「ここをこうやったらみんな驚くぞ」みたいなことを避けたいっていう?

王舟:そうだね。自分が調子に乗ってしまうのを避けたい。

「新しい」フォークを想って~リズムについて

さっき話にあったような「モデルケース」として参考にした音楽、具体的に教えてもらってよい?

王舟:うーん、そういう視点だとブレイク・ミルズの作品が大きかったかな。

ロック的な生音と電子音の処理がおもしろい、と?

王舟:そう。自分的にあのクオリティはそれまで聴いたことがなくて。曲はトラディショナルな感じなんだけど、音像が全く新しい。エリック・クラプトンが認めるくらいめちゃくちゃギターはうまいし、ライブ音源とか聴くと出音もヴィンテージな感じですごく良い。でも、アルバムのサウンド・プロダクションという点でいうと、今の技術とセンスの粋という感じがする。フォーク的なものに対して「これはフォーク的なものだからそういうアナログ的な手触りにしなきゃ」みたいな先入観が完全にない感じ。リズ・ライトの『グレース』ってアルバムとかもそうだんだけど、2010年代半ばあたりから、アナログ機材へ過剰にこだわらずに現代の技術で出来ることを積極的に取り入れていくっていうのが、いわゆるルーツ系の歌ものの世界でも拡張された感じがあって。それこそがまさに「今のトラディショナル」って感じだなと思って。

日本だと洋楽ファンの間でも、そういうアメリカーナ志向のものは、「ああ、シブいやつね」という単純な認識もまだ根強い感じがするけど、世界では刷新されてきている感じはするよね。たしかに今回の『Big fish』もそういう系譜に置いてみるとより魅力がわかりやすいかもしれない。

王舟:そういう逆転的な動きがいますごく本国で実っている感じがして。そもそもの蓄積なのか、録音やミックスの制作プロセスの違いなのか、まだまだ日本ではそういう逆転の意識って一般的じゃないんだけど、今回はそれをやってみたかったっていうのはありますね。

あと、僕の印象として、王舟くんってリズムについても常にすごくコンシャスだなと思っているんだけど、今回のアルバムはその面がより鮮やかに現れていると感じました。

王舟:そもそも自分の曲ってハネているリズムのものが多くて、弾き語りだとそこが強調される感じなんだけど、今回バンドと組むことであえて平坦さを加えたいなと思って。ビートの平坦さって、打点的に等間になっていればいいだけじゃなくて、ベースのラインの印象だったり、キックの強弱だったりとか色々要素があって、それらを駆使しながら曲自体のシャッフル感と融合させてみようと思ったんです。あと、そういう手法のほうが不思議とソフト・シンセの音色ともフィットするんだよね。

低音へのこだわり

制作中、エンジニアの田中(章義)さんとも低音についてかなり議論したようですね。

王舟:ことさらに低音を聴かせたいってわけじゃないんだけど、入れるなら深みのある低音にしたかった。こだわりというより、日本の現行の音楽を色々聴いたりすると、なんで低音がこんな処理になっているんだろう、と感じることが多くて。今回、派手ではないんだけどサブベースを入れている曲もあって、それは多分低すぎて家庭のオーディオ環境だとあまりわからないかもしれないいろんな環境で聴いていただいてのお楽しみということで()

王舟くんの思う「良い低音」とは?

王舟:たとえば、ダフト・パンクの『ランダム・アクセス・メモリーズ』とか、すごく低音が出ていると思うんだけど、かといって過度に押しが強いわけじゃなくむしろスムーズに響いてくる。自分なりに「これが良い低音だ」というバランス感があって、今回はそこにトライしましたね。繰り返しになるけど、あくまで低音をガンガン出したいわけじゃないんだよね。でも、低音を膨よかに感じられたほうが高い方もよりよく聞こえる。そこの処理は(田中)章義くんがすごくいい感じにやってくれた。以前12inchで出した『ディスコ・ブラジル』の最後ミックス中に、彼が「低音ちょっと上げていい?」って言ってその通りにしたら、どっしり懐が深い感じなったかたら、その感覚を踏襲したいというのがあったね。章義くんに関しては前々からミツメとかを聴いて素晴らしいエンジニアだなと思っていたし、今回はガッツリ彼のミックス・ルームで良い環境の中作業できたのも大きかった。

歌詞について

作詞面でいうと、英語とともに日本語がよりリズミックに響く曲が多くなった印象です。

王舟:いやまあ、日本語はスタッフからの提案もあって書かなきゃって感じで書いたんだけど()。あんまり英語と日本語の使い分けは意識していなかったかもな。

日本語と英語を厳密に使い分けていくっていうよりは、自然と英語のリズムにあうのは英語詞、日本語のリズムにあうのは日本語詞というように棲み分けが自然に出来ていった感じ?

王舟:そうそう。

一曲の中に両言語が混在する曲もありますね。流れが自然なので、意識していないと切り替わったのがわからないくらい違和感がない。

王舟:以前は英語の曲は全て英語で、日本語の曲は全て日本語って設定していただけど、今回はそれを取っ払ってみた感じだね。

王舟くんにとって、自分の音楽において歌ってどういう役割を担っている?

王舟:うーん、曲の誘導係みたいな美術館の音声ガイドみたいなイメージ()。主張する音声ガイドもあれば、あんまり主張しないけど気の効いたこと言うな的なものもあって。解説というのともちょっと違って、あくまで道順を教えてくれるガイドみたいな。構造としては、色んなアーティストがよくいうけどアンサンブルの一部って感じですね。

確かに今回はその「アンサンブル感」をこれまでに増して感じます。

王舟:歌い方にも要因がある気がするな。ボーカルを家で全て録っていて、デカい声を出せないから自然と抑えめの歌唱に。最初はスタジオで撮ろうと思ったんだけど、全然うまくいかなかったんだよね。

スタジオで「せーの」で集中的にとっていくみたいなのがそもそも楽曲自体と合わなかったということ?

王舟:そうかも。リラックスした環境で何回も歌うことで自然と曲にボーカルが近づいていく感覚があった。音同士の相性みたいなものが大事なんだよね。

歌が楽曲自体から乖離してはいけないという意識?

王舟:そう。それこそ乖離しているものも世の中には沢山あるけど、そういうのって選挙カーの演説みたいに聴こえちゃいうというか。まあ、そういう気概がないと芸能の世界ではやっていけないんだと思うけどJ-POPってそれ自体が選挙活動に似ているでしょう。いかに普段の生活の中に違和感を投げかけられるかっていう。そうじゃないと売れないし。そういうのとはこれ(Big fish)は真逆のものだとは思う。

音楽の「ジャンル」とは?

音楽の「ジャンル」ってなんだと思いますか?王舟くんはあまり気にしなさそうな印象があるけど。

王舟:そうだねえ、気にしないねえ。でも、人間が音を奏でるっていうその始点におけるジャンル差というのはあるとは思っていて、そこには興味があるかな。例えば、東南アジアの子供と日本の子供におもちゃのドラムを叩かせるとすると、既にリズム感覚が違うとか、そういう文化の素の素みたいな次元での差異が俺にとっての「ジャンル」って感じかな。

後から音楽を分別するための概念じゃなくて、成り立ちの違いを知るための概念って感じ?

王舟:そうそう。マーケティング的に整理するために作られた言葉と、それが発生してまだ混沌としているときにつくられた言葉の差というか。あとはそもそも自分が何がしかのジャンルに帰属した意識がないからってのもジャンルにあまり興味がない理由かも。

自分がジャンルレスな存在だという自覚ってあります?

王舟:まあ、ジャンルレスかな。さっきも言ったけど、ずっと同じことをやると飽きちゃうんでね()

じゃあ、自分が帰属するべきアイデンティティみたいなことは意識したことある? それこそ王舟くんは上海生まれの中国人で、子供のときから日本で暮らしているという経歴があるわけだけど。

王舟:うーんアイデンティティねえ。正直考えたことないね。本質的に安定的に生活しているときはそもそもアイデンティティを意識することもないだろうなというのもある。

一時期、社会にアイデンティティ喪失が広がっているとか色々言われたこともあったけど

王舟:アイデンティティを獲得させることによって、新しいマーケットをつくるみたいなものじゃないかと思っちゃうけど。どこかに帰属させて、帰属意識を満たすものを更に売る、っていう。

王舟くんって、例えば飲みながら話したりすると割とそういうサバサバした話が出てくるから面白いよね。なんだろう、すごく透徹した性格の持ち主だなって思います()

王舟:ははは。アイデンティティって、本当に何かに立ち向かわければいけないときにはもちろん必要だと思うんですよ。でも実際は、実態のない代数xみたいなもので。

何かに不当な抑圧されている存在がそれを跳ね返すときに使うものとしてはとても大切なもの?

王舟:そう。あくまで切羽詰まっているときに支えになってくれたり、大義や目的をあたえてくれるもの。だからこそ、必要以上に「アイデンティティ」という単語を多用するのはどうかと思うね

済みませんでした…(苦笑)。そういう考え方と、王舟くんの音楽上のジャンルレスさって、本質的に通底しているものがある気がするね。

王舟:うん、そうかもな。

感動するものについて

唐突ですが、どういうときに感動します?

王舟:最近だと、保坂和志の『カンバセーション・ピース』を読んだときかなあ。

どんな感動?

王舟:うーん、言葉にならないところで感動している気がするから、言葉にしづらいんだけどなんというかこう

保坂和志の小説って、何か劇的なことが起きたり起承転結があったり、とかではないですよね。

王舟:うん。でも、実は常に凄くいろんなことが起きているんですよ。人に「こういう面白い話があってさー」みたいに説明できる目立った出来事は何も起きていないんだけど。

言葉を連ねていくことで、そこにある言葉の集合の外に意味が生じてくるみたいな感覚

王舟:ふーむなるほど。

それって、「言葉」を「音」にも入れ替えられるような気がする。

王舟:なんなんだろうな、あの感覚。前から好きだったんだけど、とにかく近頃またよく読んでいるね。それと全然話飛ぶけど、最近だとジュラ紀とか想像すると「うわあ」ってなる。

「うわあ」って()

王舟:なんというか、スケールのデカさに頭の回転が追いつかないのに心の中では妙なリアリティがあって、打ちのめされる感じ()

それでいったら、宇宙は?

王舟:宇宙は好きすぎてもはや感動とかじゃなくなってしまった()。あと、あまりに巨大なスケール過ぎてジュラ紀くらいがちょうど良い。実は当時サメが翼竜を捕食していたみたいな話とか、それを想像するだけで「うっわ」って。

今の人間社会と超絶した世界を想像するとゾクゾクするってこと?

王舟:いや、逆。長い年月を経ているとしても、それがこの日常と確かに繋がっているって思えるから感動する。振り返ったらそこにあるかもしれない存在として巨大なものを感じることができたとき。それこそ保坂和志を読むとそう思えるときがあったり。すごくわかりやすくいうと、「自分って小さいな」って思わせてくれるものに感動するってことかな。

Big fish』が寄り添うもの~「綾」としての音楽

自分の音楽を聴いてどんな気持ちになってほしいですか?

王舟:うーん、なんだろう。それこそ「なんでもいい」かな。「こういう気持ちを抱いてほしい」っていう誘導を極力無くしているつもりだし、何を思ってもらってもいいですね。

何も思わなくても?

王舟:全然大丈夫。

ウキウキしたり、ワクワクしてほしいとは?

王舟:もちろんそうなってくれるのもいいけど、上気した心をフラットな状態に取り戻す、とかでも良いと思う。ウキウキワクワクしてなければいけないって同調圧力の中にいる人が、ふとフラットな状態を取り戻す、そういう音楽になっていれば良いなとは思うね。

王舟くんにとって、生きている中で音楽ってどういう存在ですか?

王舟:なんだろう7色くらいの毛糸を巻いて玉を作っているのが生きているということだとするじゃない。で、手で撒いているから、たまに色んな色が交わって「あ、綺麗だな」っていうのが、俺にとっての音楽

すごく詩的な表現が出たな()。巻いていく中で生じる「綾」みたいなもの?

王舟:そう、この玉が人間の手仕事に由来している限り、そこに色んな形の綾が浮かび上がってくる。彩はいくつも出来ると思うけど、そのうちのひとつが音楽って感じかな

でもそれは、単にくるくる巻いているだけで出来る偶然の産物ではない?

王舟:そうだね。そこには多少の意図も反映されている。でも、そんな綾って玉の形には影響しないじゃない。だから余計なことといえば余計なことだよね。でもその綾を眺めるのって、悪くないじゃん。

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